教授に聞いてみました

神学部で教えている先生に質問してみました

         心 の 対 話

言葉の限界を超えて対話することは、可能なのでしょうか?

この質問に、神学部のアントニウス・フィルマンシャー講師が答えます――。

フィルマンシャー アントニウス
(Firmansyah Antonius SJ)
神学部神学科 常勤嘱託講師


■先生のご専門はなにでしょうか

 私は現在、上智大学神学部神学科で典礼学を教えています。典礼学の他に、シンボルの哲学、司牧神学や宗教哲学などの授業も担当しています
 私の研究テーマはシンボル(象徴)で、特にキリスト教におけるシンボルの神学的理解が主な研究分野です
 それに加えて、シンボルについては様々な学術的な観点もありますので、文化人類学や社会学からみるシンボル理解についての研究も取り組み始めました。例えば、グローバル化された世界の中で文化的な儀式はどのようにシンボルを通してその文化の価値観を伝達し続けることができるのかなども研究課題です


■日本で生活して気づいたこと感じた事を教えてください

 2002年にイエズス会所属の神学生として日本に派遣されてから16年が過ぎました。来日したばがりの頃には、同じアジアの国ということで、先ず、インドネシアと日本の共通点を探しました。異文化の戸惑いは、いずれ、自然に出会うでしょうと思って、異文化を受け入れるための土台を先ず築く事を優先しました
 新しいことを理解するのは好きなので、日本語をはじめ日本の食文化や伝統等を学ぶことに戸惑いはありませんでした。特に、日本という国は象徴の豊かな国なので、日本語の勉強の苦労の中で一文字一文字の漢字の裏にある意味を理解することは楽しみでもありました
 しかし、日本にある様々な象徴の意味を理解していくと、日本社会の中には発言し得ない象徴も多くあると意識するようなりました。シンボルは結局理解するために存在するというよりも、人間同士の対話の深みに導くための手段であると気付いてきました
 “以心伝心”だと良く言われているように、様々な伝統の裏にある意味を理解することからそれを心で味わう週程は日本での生活の楽しみです。決まり切った意味を押し付けるのではなく、シンボルが人間同士の“キャッチボール”を豊かにする過程は、シンボルからくる人生の楽しみでもあります
 だからといって、私が、日本で上手に対話の“キャッチボール"が出来るということではありません。どちらかといえば、苦労している方です。しかし、苦労している中でも自分が徐々に心の対話をマスターしたいという願望も感じているので、その意味では楽しんでいます


■インドネシアと日本とで対話の違いはありますか

 言葉の限界を超える心の対話は、言うまでもなく、実践しにくいことです
 私は力トリック教会の司祭として力トリック教会の中で結婚する方々の準備のお手伝いをしますが、この心の対話については準備講座の中でよくお話します。私の講座のカップルは多様な宗教に属し、様々な国から来るカップルです。インドネシア人同士のカップルもいれば、インドネシア人の女性と日本人の男性またはその反対のカップルもよくあることです。国際結婚を行うインドネシア人の女性の殆どは、主婦というよりも、仕事しながら結婚生活を送りたい方々が多いと思います。しかし、彼女らは家庭作りのための心の対話が仕事の忙しさの中で可能であるかどうかということを心配しています
 インドネシアにおける男女共同参画の動きは明らかに良い方向に向かっています。大統領をはじめ世界銀行の事務局長として務めていたインドネシア人の女性の方々は歴史上にも記録されていますが、身近(家庭生活)で見たら、自分の夢を自由に実現する女性の割合は日本と比較するとまだまだ低いです。講座に参加した日本人の女性は、人数が少ないので日本女性の代表とは言えませんが、私が講座で出会った日本人の女性をみた限りでは、彼女らは殆ど、自宅で仕事しながら家事も行いたい、と結婚後の計画を立てています
 いわゆる“第三の道”(自宅で仕事しながら家事も行い、家庭内の深い対話も可能にする道)を支えるための制度は日本では彼女らのために既に整えられています。言い換えれば、主婦でありながらプロフェッショナルな女性になるための国や企業からの支援があるということです。これに関しての専門的な研究が今後必要になると思いますが、今言えるのは、日本のように“第三の道”が考えられるように女性を支える制度がインドネシアの中でも、今後促進してほしいと思います


■日本のこれからの課題について教えてください

 上述の経験を振り返ってみると、私は、心からの対話が外面的な状況や支えによって左右されているとみています。そこで、疑問になってくるのは自由の問題です
 人間は様々な状況に満たされてプロフェッショナルになれます。しかし、人間はプロフェッショナルになれば心からの対話も自由にできるのでしょうか?日本の中の家庭生活を細かく分析したら、プロフェッショナルな夫婦の家庭生活は実際にお互いに心からの対話をどの程度するのでしょうか?プロフェッショナルの方々は、プロフェッショナルだから、時間を無駄にせず、大切なことのみ話すという方向になりがちではないでしょうか。多くの場合、これは情報的な対話と言えると思います
 私の講座に参加した幾組ものプロフェッショナルな夫婦も結婚する前にこの問題を予測し講座の中でも触れるように配慮しました。日本のように、科学技術が進んでいる国々の中では、情報操作の危険性が高くて、多様な情報によってさまざまな誤解や分裂などが発生するのは日常茶飯事です。結果として、人間の対話は浅薄な内容になり、深い相互理解への努力を怠る危険性を生み出します
 このような現実の中に置かれている日本は、正に試されています:時には情報的な対話の機械(携帯やパソコン)から離れて、各人がお互いに真の姿を見つめる勇気と努力が、日本の課題ではないでしょうか?

※『ソフィアのダイバーシティー――日本を知る、世界を知る』
上智学院ロールモデル集Ⅶ(上智学院ダイバーシティー推進室編纂・発行、2017年)15 - 16頁より抜粋・編集